福岡県福岡市で毎年GWに行われる「博多どんたく」は2日で200万人以上の観光客が集まる、国内最大級の都市まつりです。
名前は聞いたことがるけれど、「博多どんたく」の「どんたく」ってどんな意味なのか知っていますか?
私も常々、一体どこの言葉なんだろうと疑問だったんですよね。
言葉の意味や、まつりの由来や歴史など、今まで知らなかったことをここで確認してみましょう。
博多どんたくの「どんたく」ってどんな意味?
博多どんたくの「どんたく」って、聴き慣れない言葉ですよね。
福岡の方言なのかなと思っていましたが、これは元々はオランダ語なんです。
オランダ語の「休日」を意味するZondag(ゾンダーク)という語が語源なんですね。
Zondag(ゾンダーク)が訛って「どんたく」という言葉になりました。
元々は明治政府が明治政府制定の祝日を指す言葉として1871年(明治4年)から広めた言葉と言われており、それが後に日曜(休日)に行われる祭りという意味でも使われるようになりました。
学校や会社が週休二日制ではなかった頃は、土曜日も学校や職場に行き午後は休みだったため「半ドン」と言われていましたが、この「半ドン」の「ドン」も「どんたく」のことです。
「半ドン」つまり、「半分休日」という意味です。
「休日」という意味での「どんたく」は今ではほとんど使われていませんが、「博多どんたく」の方は知名度が上がり、今では「どんたく」というと「博多どんたく」を示す言葉となっています。
博多どんたくの由来とは?
博多どんたくの起源は830年前にまで遡ります。
貝原益軒の『筑前国続風土記』によると、「平安時代、京都御所の正月、宮中参賀の行事が地方に伝わり、この博多では源平時代のち冶承3年(1179)、正月15日、松囃子を取行う」とあります。
そもそも、松囃子は年頭に福を祝って行う芸事の事であり、松の内に行う囃子のことで、松拍子・松拍とも呼ばれ、室町時代に盛んにおこなわれていたものでした。
この松囃子が始まりとなって博多松囃子が発展していき、「博多どんたく」へと繋がって行きます。
古い文献によると、約400年前、筑前の領主となった小早川秀秋の居城(東区名島城)へ博多の町人が松囃子を仕立て年賀のお祝いに行ったと記されています。
江戸時代には福岡城へ福岡藩の藩主を表敬するため正月15日に赴く年賀行事として博多松囃子が行われていました。
この博多松囃子は明治維新後まで続いて行きますが、明治5年(1872年)になると「金銭を浪費し、かつ文明開化にそぐわない」という理由で正月の松囃子は禁止されてしまいます。
その後は天長節(天皇誕生日)や紀元節(建国記念日)、鎮魂祭(招魂祭)などに行われましたが、戦争が始まり、昭和13年(1938年)を最後に中止になりました。
現在の博多どんたく祭りの歴史
現在の形の博多どんたく祭りが始まったのは、戦後のことでした。
終戦後、1946年(昭和21年)5月に「博多復興祭」として復活したのがその始まりとなります。
翌1947年(昭和22年)には福岡市・福岡商工会議所・商店街代表・市民有志らによって博多どんたくが5月の24日・25日に開催され、3台の花電車に16か所の仮設舞台が行われます。
現在の博多どんたくの形式はこの時に生まれました。
1949年(昭和24年)からは憲法記念日に合わせて5月3日と翌4日が開催日とされ、名称も「松囃子どんたく港祭り」となります。
1961年(昭和36年)からは5月2日のどんたく前夜祭が開始され、更に1962年(昭和37年)には名称が現在の「博多どんたく港まつり」と改められます。
この時から広く一般市民から参加者を募る方式となり、「博多」にとらわれず福岡市全体の祭りとして定着していったのです。
今では福岡市だけの祭りではなく、日本全国、そして海外からも参加する人がいるお祭りになっています。
まとめ
博多どんたくは長い歴史のあるお祭りだったんですね。祭りの背景にある歴史や由来を知ることで、より深く祭りを楽しめるのではないでしょうか。
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